私たちのこれまで
代表松田の生い立ち
代表の松田正明は1960年、香川県高松市に生まれました。
両親は仕事が忙しく、料理人であった祖母に育てられます。
生まれつき原因不明の心臓疾患があり、祖母と過ごす少年時代でした。
発作が起きるので祖母は少量づつ、いろんな料理を作って、これは発作にならない、これは発作になるという実験を始めます。料理人の祖母は異常なまでの凝り性で研究熱心でした。
松田が研究者、料理人になる原点はここにあったのです。
大学は岡山大学の経営学科でした。
外出先での発作が怖くて食事ができないという理由で彼はそのまま大学院で研究者になりました。
革新的な経営理論の研究に明け暮れます。
そして、 天安門事件の年の秋、北京の学会で人生を変える衝撃を受けます。
日本の学生がのほほんと日々を送るのに対し、中国の若者は自分たちの力で社会を変革し、未来を切り開こうとする強いアントレプレナーシップを持っていました。
それを見て日本はこのままでは中国に追い抜かれるという焦燥感に駆られました。
研究者では社会を変革できないとの思いで安定を捨てて民間企業で新規事業の立ち上げに関わりますが、組織の中での個人の力はゼロに等しく、疲れはてて2000年に退職します。
体調も崩していたので数年間を療養生活にあてます。
そんな彼に転機が訪れたのは2004年です。
フランスからやってきた友人が化学調味料、添加物を徹底的に排除したナチュラルな食事療法を教えてくれたのです。
外食を極度に恐れて避けていたのですが、それからは東京の一流店を皮切りに、フランス、イタリア、スペインを旅して各地の食文化の研究をしました。
食事療法で得た知識も加えて体に負担をかけない調理法、加熱方法を確立します。
レストラン時代
2007年8月にカウンター7席の小さなレストランのオーナーシェフになりました。
松田には疑問がありました。
アメリカ人が江戸前鮨を握っても日本人は納得できるのだろうか?と。
日本人が作るフレンチ、イタリアンにも同じ事が言えるのではないかと思ったのです。
料理における独創性はなにか? 研究者としての松田が頭をもたげます。
導き出した結論は、独創性は料理人が育った地方と人生経験にあると言うことでした。
フランスには地方独自のチーズや乳製品、ワインがあり、それがフランス料理を特徴付けています。
日本にはそういった食文化がない代わりに地方独自の醤油、味噌、日本酒がふんだんにあります。
日本人による日本人にしかできない料理とはなにか?
松田が確立した調理法は地方の醤油、味噌、日本酒にフレンチやイタリアンの技術を応用するというものです。
その日の仕入れとゲストの雰囲気をみてアドリブでコースを組み立てていくというスタイルで、提供時間は4時間を越えることもしばしばでした。
ジャズのようにゲストと料理という音楽でセッションをする、このライブ感溢れるスタイルはいつしか奇跡の厨房と呼ばれるようになりました。
顧客の7割は東京のグルメ客、残りは日本にやってきて東京からのお客様とやってくる外人客でした。
4時間を超えるパフォーマンスはシェフとお客という関係を越えて連帯感が生まれ、のちにエスペランサの最大の理解者になるのです。
エスペランサの創業まで
松田の休日は農家を回って食材探しでした。
そこで見たのは、若者が去って年金を頼りに細々と畑を耕す高齢者たちでした。
野菜の価格は市場が競りで決める価格後付けシステムで、売れば売るほど赤字ということが常態化しています。
消費者に直接販売する仕組みである産直でも極端に安い価格設定を求められた上、15%のマージンを取られます。さらに売れ残った野菜は廃棄されるのです。
これでは農家経営が年金頼みで若者が就農しないわけです。
なによりも問題に感じたのは、先祖代々に受け継がれてきた農業技術が若者に伝承されずに途絶えてしまうことへの焦燥感でした。
もう1つ、教育の現場にいた松田の心を苛んでいたのは職に就けない若者が増え、たとえ就職しても夢も希望も持てない若者の姿でした。
天安門事件の年に見た中国の若者が無限の可能性を信じて瞳を輝かせていた姿がフラッシュバックしました。
そこで、地方再生の方程式として松田が考え出したのが、
- 地方独自に伝わる伝統食を現代風にブランド化して高付加価値商品にする
- 手作りにこだわり雇用を創出する、原料である農産物は可能な限り地元産を使い、農家から適正価格で買い取る
- 高齢者の畑に若者を送り込んで農業技術の伝承を行なう持続可能な農業の仕組み
...これらを構築することでした。
エスペランサ創業
農家まわりをする中で知り合った天雲力也、双田美悠紀と起業を決めます。
統括ディレクターの天雲は2008年8月から半年間、地元産直で研修しました。
翌3月には松尾宗隆が野菜の配達担当として加わり、2ヶ月後には厨房配属となり、究極の辣油、カレー、燻製の開発に成功します。
2009年10月14日、農業担当の今村を加えて5人で産直と食の実験工房として創業し、WEBでの販売を事業の主力にしました。
待っていても商品は売れません。
松田は毎月のように東京に売り込みに行きました。
料理研究家、シェフ、雑誌社、テレビ局。
もっとも強力なサポーターはレストラン時代のお客様たちでした。
自分たちで買い込んで配り歩いてくれ、それがきっかけでテレビや雑誌で次々と取り上げられるようになりました。
レストラン時代のお客様は、松田の掲げる地方再生の方程式の信奉者として経営にも参画するようになるのです。
エスペランサ1年目
限界集落から全国に、世界に通用するブランドを作るという目標を掲げて創業して1年。
フランスの1星レストラン、メゾン・ダ・コテは辣油を採用してくれました。
他のレストランからの評判も良好で海外展開に自信を持ちました。
8月には東京での販売拠点もフジテレビの銀座めざマルシェに決まり、JALのファーストクラスという会員誌での販売も始まりました。
アメリカの大手流通企業との商談も進んでいます。
